第190回 「たまたま」

「帰宅難民」
「帰宅難民」

過酷すぎる天災は、今回の大震災を含めこの地球上で数えきれないほどたくさん起きている。

そして私はたまたま、本当にたまたまその過酷な現実にさらされずに無事に生きているだけだ。

いや、生かせてもらっている、心からそう思う。

仙台に住む親しい友人のご両親が奇跡的に生存した話をきくことができた。

披露宴の司会を務めさせてもらったことから、ご両親はじめ親戚の方にもお会いし、今年こそは数年前仙台市の海から数百メートルに新築で建てたお宅に遊びに連れて行ってほしいと話していた矢先だった。

あの日ご両親は地震直後に危険を感じ、本当に取るものも取らず、携帯電話だけ持って飼い犬と夫婦で車に乗り、近くの学校に避難したそうだ。

学校について3階まで登ったその瞬間、乗ってきた車が濁流に飲み込まれて消えていくのを呆然と見守るしかなかったという。

発生直後、それまで震度4程度の地震が何回か起きていたこともあり隣の人などは「まあ今度も大丈夫じゃないか」といっていたそうだが、その方の消息などは未だ不明だそうだ。

それこそ「『通帳は』とか『防災用具は』などといっていたら自分達も絶対に間に合わなかっただろう」と。

発生直後ご両親と繋がり無事が確認できたことも本当に奇跡だと思わざるを得ない。また、あまりにも危険な地域だったため、優先的にヘリによる救助を受けることができたそうだ。

このエピソードのように、自然の脅威の前には生死の境は「たまたま」でしかない。

いい人だろうが悪い人だろうが、赤ちゃんだろうが年寄りだろうが、男だろうが女だろうが、妊婦だろうが透析患者だろうが、そんなことはおかまいなしに自然災害は襲いかかり、そしてその前に人間はあまりに無力なのだ。

ヒステリックな買占め、批判や誹謗中傷、責任者探しや魔女狩りなどをしているより、その事実をしっかりと受けとめ、もし次回同じようなことが起き、そして「たまたま」生き延びるチャンスが自分に与えられた時にベストを尽くせるように、冷静な判断ができる意識と、そして体力をつけておこう。

そして今「たまたま」無事に生かせてもらっていることに感謝し、そして自分にできるこをやろう。そう思う。

被災者の皆さん、本当に頑張ってください。

こんな言葉しかいえない自分が歯がゆいですが、うわべの言葉で飾りたくないと思うと今はこれしか言えないんです。すみません。

「たまたま」無事に、平和に生かせてもらっている身として、どこまで力になれるか分からないけど、できることを精一杯やっていきますから。

負けないで。負けないで。負けないで。

そしてそんなに遠くない将来一緒に笑いましょう。

頑張ってください。頑張ってください。頑張ってください。

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